※本記事に登場する人物名、劇団名は仮名とさせて頂きます。
「その①【旗揚げ】」をまだ読まれていない方は、ぜひそちらをお読みになってから当記事をお読みください!👇
「芝居・役者・舞台の魅力と苦悩~僕の演劇人生、劇団日記~その①【旗揚げ】」
良いことも、悪いことも、全て受け止め突っ走った。
舞台という魔力。
劇団「パラダイス座」を旗揚げして、最初の3年程は、何も起こりませんでした。
ただただ、ひたすらバイト⇒稽古⇒本番の繰り返し。
一度は動員も増えますが、やがて、公演のお知らせの時だけ連絡する知り合いにも愛想がつかされ始めます。
それなのに私たちは、欲張りにも、舞台美術や音響&照明に拘りはじめ、1円も利益が出ないにも関わらず、どんどん舞台の製作費は上がって行きました。
1公演、ひとり30万円以上、劇団につぎ込み始めていました。
1回の公演費が、200万を越え出しました。
フリーターで生活しながら、年に2、3、回公演があるわけですから、1年に約90万円も納めなければなりません。
それはもう、簡単な行為ではありません。
それでも自分たちにが作りあげる劇空間には自信があったし、こだわりたかったし、何よりも、笠木の考える舞台を現実化してやりたかった…。
性懲り無く私は、変わらず、深夜にアルバイトをしながら、家賃1万5千円、風呂無し、便所共同、日当たりゼロの部屋で、ガムシャラに生きていました。
それでもまだ、20代。
「若さ」と言う劇薬の効力は、切れていません。
1年間のなかで、たった10日余り、自分たちのお手製の舞台に立てる喜びは、計り知れないんです。
「若さ」以上に、「舞台」と言う者には、とてつもない魔力があります。
一度、足を踏み入れたら抜け出せない。
あの、自分のセリフで劇場が湧く感覚を覚えたら、本当にやめられないもんです。
自分たちだけの表現の場、劇空間。
その後、CDデビューしたり、テレビのレギュラー番組を持った自分だから解る事ですが、小劇場界の舞台程、自由な表現の場は有りません。
企画制作は自分たちですから、いろいろ言ってくるプロデューサーや、スポンサーなんていません。
それこそ、動員を見込めないであろうが、赤字だろうが関係なしの、やったもん勝ちです。
2時間そこそこの劇空間は、劇団が、そして舞台に立つ役者たちが、何の制限なく純粋に表現できる場なのです。
YouTuberだって、Googleの審査や検閲が入ります。
今思えば、あの頃程、自分たちのピュアな表現が出来ていた時は無かったのかもしれません。
それこそが、舞台の魅力であり、また、落とし穴なんです。
結局、食って行くには、動員を増やしていかなけれなならないし、スポンサーも欲しいとなれば、
最大公約数をある程度狙って行かなければならないのですから、自己満足のオナニーでは、続かないんです・・・。
横のつながりを感じながら・・・
しばらくすると、他劇団との関係も密になって行きます。
お互い、ライバル視したり、それぞれの劇団に客演したりしながら、小さな関西小劇場でも、つながりが増えて行きました。
それは純粋に楽しかったし、劇団員以外の人と、2か月あまり一緒に稽古をして本番を迎えると・・・、それは時に一生モノの仲間と出会える事もあります。
これも、芝居の魔力のひとつです。
毎日の様に顔を合わせ、セリフを交え、稽古を重ね、本番のステージを終える。
この行為は、その人となりを知るにはとても、秀逸な行為であり、もちろん「二度ど逢いたくない!」で終わる場合もありますが、時として、「仲間意識」が強く芽生えます。
そんな出会った仲間と、また別の劇団や現場であった時にはなおさらで、どんどん、出会いが楽しくなっていくのも舞台の魅力です。
そんな舞台の楽しさも経験上、とてもよく理解している私ですから、いつかまた、年金生活にでも入ったら、小さな舞台でもしてみたいとは思っています。
より深まる、温度差と事件の数々。
「小田」という男。
「小田」という男が居ました。
大学の演劇科の同級生で、劇団「パラダイス座」の旗揚げメンバーでもあります。
彼はその独自のファッションセンスから、劇団の衣装を担当していました。
小田は、主催の笠木に勝るとも劣らない、だらしない人間で、とにかく時間を守れない。
稽古には、毎日の様に遅れます。
そんな人物に限って、バイトには遅れず行っているのです。
そのくせに、もちろん劇団費は払わず、滞納しっぱなし。
笠木と小田の劇団費の払わなさっぷりは、いつしか諦めモードに入ってきていて、私が肩代わりするのも当たり前になっていました。
「バイトと劇団、どっちが大事なんだ!」と、深夜寝ずに、自分の生活を犠牲にしている自負があった私との温度差も増していきます。
小田は、その拘りから、ある時の公演で、
「今回、衣装費が、20万必要だ」
と言います。
なんとか捻出し、彼に渡したものの、
出来上がった衣装をどうみても20万かかっていないことに、パラダイス座のメンバーは気づき始めます。
思い起こせば、今までに彼に渡した衣装代も、全く余りが返ってこないし、本当に衣装代として使っているのか?と疑念も膨らみ始めます。
また小田は、非常に気象の荒い人間でもありました。
とにかく、沸点が解らず、すぐキレるし暴力をふるう・・・。
もちろん劇団には色恋沙汰も付き物で、小田は劇団員の華子と付き合い始めていました。
次第に、華子に対するDVが酷くなり、稽古にも、小田、華子のどちらかが来ない日、またどちらも来ない日が増えて行きました。
泣きながら「喧嘩をしちゃって」と華子だけ稽古場に来ることも増えました。
ある日の、稽古の事です。
華子が、ギプスを付けて稽古場にやってきました。
小田に暴力を振るわれたと。
もう、稽古どころではありません。
しかし、小田にいくら問い詰めても、キレるばかり。
挙句の果てに、衣装代を自分の生活費やパチンコに使って居るのを認めだしたにもかかわらず、
稽古には遅れ続け、団費やその使ってしまった衣装代も返さず、逆ギレや暴力はエスカレートしていくのでした・・・。
はじめての、追い出し行為。
私たちは、小田に劇団「パラダイス座」を退団してくれる様に懇願することに決めました。
今まで、自主的に去って行った人間は沢山いましたが、
こちらから「劇団を辞めてくれ」というのは初めての事です。
なんやかんやで、学生時代から何年も苦楽を共にした仲間を追い出すのは、やはり、とても心が痛いもんです。
普通に言っても、逆切れするだろうし、暴れ出すのが目に見えていたので、
私たちは、梅田の超オシャレなカフェで、周りにもセレブが沢山いる、いわゆる彼が「暴れにくい」場所を選んで、交渉に入りました。
もりちろん、もうこの際、お金は返して貰わなくていいという条件です。
とにかく小田と言う人物が、この劇団「パラダイス座」にとって、もはやマイナスでしかない、そして、「お互いのためにならない」事を伝えました。
小田はびっくりするほど、あっさりと受け入れ、パラダイス座を去りました。
残った劇団員には、正直、寂しさよりも、ホッとした安堵感がありました。
まだ、20代。
若さの劇薬は切れていませんでした。
あの、追い出しをした梅田のオシャレなカフェ。
去っていく小田の後姿は、今も忘れられません・・・。
初めての人探し、夜の街、難波事件。
小田が劇団を去ってから、間もないことです。
小田と別れた華子の携帯に、まさかの小田の九州の実家の母親から電話がかかってきます。
「うちの息子が、ぜんぜん連絡が取れない!音沙汰が無いので困っている!」
と、血相を変えた声で、かかってきたそうです。
それを知った、私たちパラダイス座のメンバーは、もちろん気が気じゃありません。
さすがに、追い出してしまった後なので、良からぬ想像もしてしまします。
彼の携帯に何度かけても、出ません。
手分けして、数人は小田の部屋まで行きました。
しかし家に行って扉を叩いても反応なし、人の気配はありません。
その間も、華子には、何度も、小田の母親から「大丈夫なの!?」と、電話がかかってきます。
ぶっちゃけ、知ったこっちゃ無いという気持ちも多大にありました。
なんでこいつは、劇団辞めたあとまで、こんなに自分たちを揺さぶるのかと・・・。
しかし、藁をもすがるような小田の母の声に、さすがに何もせずにはいられません。
後から聞くと、
「何かあった時は、劇団メンバーの仲間がいるから、そこに電話してくれ」と、
小田は母親に言っていたそうです・・・。
もちろん、こんな人探しに、笠木は参加しない。
『台本が、かけていないから…』
の、殺し文句が全ての免罪符になる。
良い身分だ。
私たち数人は、とにもかくにも、彼がよく繰り出していた、大阪、難波の繁華街を探し始めました。
「小田ー!小田―!」
グリコの看板が眩しい「ひっかけ橋」を渡りながら、
不安と「何してんだ俺たち」という気持ちと、小田の無事を祈る気持ちが交錯しながら、街を探しました。
「こっちには見当たらない・・・、あっち行って見よう・・・」
ドラマのワンシーンかと思う、このロケーションの人探しに、「でも現実」という鬱陶しさがこみ上げてきました。
2時間位、探したでしょうか・・・。
もう居ないのでは?・・・、とそろそろ諦めようとしていた時です。
道頓堀の向かい側を最後に見て回りました。
すると・・・、
キャッチをする黒服に、見覚えのある後姿が・・・。
「小田?・・・」
回り込んで顔見てみると、間違いない、小田でした。
「おー、久しぶり!どうしたん!?」
ビックリするくらいの他人事です・・・。
小田は居ました。
難波の繁華街で、ホストクラブのキャッチ、黒服をしていました。
こちらの焦り具合とは裏腹に、あっけらかんとしている小田に怒りを感じながら、事情を説明しました。
携帯は料金を滞納していて、繋がらなくなっていたとのこと・・・。
相変わらずだ・・・。
とにもかくにも、無事で居てくれたことは、嬉しかった。
しかし、だ。
劇団と言うものは、時に、夜の繁華街で人探しまでしなきゃならないのか!?と、
さすがに「若さ」という劇薬では乗り越えれない、事象も増えて来ていたのでした・・・。
その頃は、この先、まだまだ起こる事件を知る由も有りませんでした・・・。
これから、劇団を始めようしている皆さん・・・、
仕事としてとかお金では割り切れない、そんな人間模様に付き合っていく覚悟はありますか?
(その③へ続く)
※その③はコチラ!👇
「芝居・役者・舞台の魅力と苦悩~僕の演劇人生、劇団日記~その③【もがく大阪、一文無しの下北沢】」
※劇団のことを題材にしたオススメ作品はコチラです👇。
コメント