私小説「黒いホワイトカラー」~私が出会ったパワハラ上司~【後編】

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私小説「黒いホワイトカラー」~私が出会ったパワハラ上司~【後編】 サラリーマンの悩み
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※先ずは前編(コチラ→私小説「黒いホワイトカラー」~私が出会ったパワハラ上司~【前編】)をお読み下さい。

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<第三章>謝罪の果て

誰でも出来るエクセル登録や、シュレッダー作業の日々。

休憩は無いも同然で、構わず説教、悪口の応酬。

突発で「今まから現場行ってください!」と言われれば、そろそろ帰れると思い始める夕方から、現場の居酒屋に急遽向かうハメになり、派遣やアルバイトにペコペコしながら叱られ、終電近くまで、皿を洗う日々。

自分が想像していた「ホワイトカラー」とは、全く違っていた。

突発でいきなり見知らぬ現場に行って、見知らぬ人にペコペコして働くくらいなら、元居た現場の様に、「いつもの仲間」、「いつものルーティン」で仕事できた方が、よっぽど楽で精神的にも安定している。

その日、私は古村さんが鍋屋横丁店で「やらかした」案件を、諸塚課長、大林さん、古村さんと4人で先方の人事部に謝罪に行く途中だった。

鍋屋横丁店は他会社の店で、スタッフを数人派遣している。

そのスタッフのAさん (68歳・男) とBさん(36歳・男)が喧嘩し、先日、警察沙汰になってしまったのだ。

聞くところによると、日ごろからBさんがAさんの事を「おい、ジジイ!お前それでも働いてるのか?」とバカにしており、キレたAさんがBさんに向かって取っ組み合いになったそうだ。

弊社の、派遣スタッフによるトラブル。

諸塚課長は、もちろん担当の古村さんに、ここ数日、溢れんばかりの説教三昧だ。

「てめぇがケアしてねえからだろ!元々、もっと現場に行ってヒアリングしてねぇからだろ!」

数百名いるスタッフを部下に押し付けておいて…、ケアしきれるわけがない。

しかもスタッフ同士の喧嘩で、だいたいそんだけ人数居たら、年配の人間を揶揄してバカにするイエローカードの人材は1人位は紛れ込んで居るだろう。

それをケアがなっていない、と部下のせいにして罵声を浴びせる・・・。

先方人事部に謝罪に行く電車の車中でも、ずっと説教だ。

4人の会話のやりとり中、98%が諸塚課長の説教だ。

会議室に先に通され、先方の人事部長が来るまで、諸塚課長は言う。

「駒井君、申し訳ないけど今日は、一緒に謝罪してくれ。念のため、現場上がりたてのお前に、俺が名刺の渡し方を教えてやる。まずこうやってだな・・・、名刺入れを座布団の様に下に敷いてな・・・」

と言ってる諸塚課長の横で、大林さんが一緒になって名刺入れを持って実演してくれて、見せてくれていた。

にもかかわらずだ。

「てめぇは、やんなくていいんだよぉ!バカヤロー!」

また、罵声が響く。

それと重なり、ドアが開いて強面の人事部長が入ってきた。

諸塚課長が一瞬で、「対クライアント」モードに変わる。

「いやーこの度は、大変申し訳ございませんでして~。」

薄っぺらくも、サラリーマンとしては「100点満点」の媚の売り方だ。

その変わりように途方に暮れた後、私は、今までやったことのないくらい深く、そして長く…、頭を下げ謝罪をした。

心の中では、頭が地面にめり込んでいる位、土下座をしている気持ちだった。

帰りの電車は、鍋屋横丁店から吉祥寺店への巡回予定だったが、私は来なくてよいと言われていた。

そのまま1人、新宿オフィスに戻り、景色だけが最高のオフィスで、時給600円レベルのエクセル登録と、シュレッダー仕事の時間が待っている。

この頃になると、やれる単純作業も尽きてきていた。

私はもうほぼノイローゼになりながら、パソコンのウインドウをただ開いたり閉じたりを意味なく繰り返して時間を潰すしか無く、途方に暮れていた。

とっくに終わっている、エクセルデータ入力を、また自ら全てデリートし、入力し直したりしていた。

SV(スーパーバイザー)としての仕事は、未だ1ミリも経験していない。

56階から見下ろす、大東京の景色を背景に、窓にうっすら映る、スーツ姿の自分。

そんな自分が惨めで泣けて来て、エリート感を装うのにも、とっくに限界を感じていた。

その日は、まぁそれでも、1人オフィスに戻り、諸塚課長から離れられるのが良いと思っていた。

しかし、だ。

相変わらずの大林さん古村さんへの説教が激しすぎて、

「では、私は先に新宿に戻ります・・・」

と言うこの、たった一言すら怖くて、言えずにいた。

車中も乗り換えの間もずっと「だからてめぇは馬鹿なんだ!嘘ばかりつきやがって!駒井、お前はこんな風に間違っても成るなよ!」・・・、と、罵声が止まらない。

ただただ、グッタリとしながら、そこから恐怖で離脱出来ず説教を聞いていた私は、気が付けば中野までついて来てしまっていた。

「っていうか、駒井、お前こんなとこで何やってんの!お前は新宿だろぅ?!なんだよ、ついてきっちゃってんじゃん!」

諸塚課長にそう言われて、「す、すみません・・・」と、か細く答え、私は新宿方面に引き返した。

遠くなる車中、諸塚課長の目はいつもの様に鋭く、口だけは勢いよくパクパク動いており、大林さん古村さんは、ただただ、こうべを垂れていた。



<第四章>濡れ衣

私は既に、完全にノイローゼとして仕上がっていた。

何をしても手に付かづ、会社行くのがただただ怖くなっていた。

水曜日が終わると「ようやく折り返したか・・・」と一息つき 、金曜日の仕事終わりが一番落ち着き、日曜日の夕方位からが最悪で、「寝てしまえば夜が明けて会社に行かなくてはならない」と言うプレッシャーが、不眠症を誘発していた。

いわゆる「サザエさん症候群」だ。

家に帰っても、諸塚課長に合うのが嫌で嫌で、何をやっても手に付かない。

住み慣れた部屋の柱には何度もぶつかり、ドアノブを握らず閉じたままのドアに突っ込んで全身をぶつけたりしていた。

仕事前、オフィスに行くのが嫌で、新宿西口の喫煙所で缶コーヒーを飲んで、「もう無理だ。帰ろう」と思っていると、気が付けば、Yシャツにコーヒーをドボドボ零していた。

情けなさと恥ずかしさをまといながら、急いで隠れるように56階まで上りトイレに駆け込んで、コーヒーのシミを拭いた。

快速電車が走る線路に飛び込もうなんてのは、数えきれない位、考えた。

自殺のニュースが飛び込んでくると、「自分の事ではないか」と疑った。

今日も窓からの景色だけが奇麗で、東京の街は輝いていた。

デスクの向かいでは、隣の大林さんに「てめぇ、ばかだなぁ、へへへ。駒井こうなるなよ!」と諸塚課長が今日も饒舌だ。

古村さんが外回りで居ない中、大林さんも何とか課長の説教を振り切り、今日も電話越しに謝りながら、オフィスを出て外回りに出た。

諸塚課長と私が二人きりになったら、私一人に対しての集中砲火。大林さん、古村さんの説教&悪口大会が始まるのは決まっている。

私の仕事も、はかどらない。

が、問題ない。もちろん私は大した仕事をしていないからだ。

「愛想笑い」が板につきすぎて、ほうれい線が整形手術した様に窪んでいた。

そこに古村さんから、クライアントへのメールが飛んできた。

Cc:には諸塚課長、大林さん、そして私も入っている。

⦅・・・2月14日(火)、打ち合わせお願い致します⦆

「なんだこりゃぁ、おい駒井君、今の古村からのメール見たか?あいつ14日は水曜日なのに、火曜って打ってるじゃん。曜日も解らなくなったか?あの犯罪者がぁ」

諸塚課長の、くだらない「粗さがし説教」は続く。

「なぁ、駒井、あいつに『曜日間違ってますよ』ってメールしてやれ、あの犯罪者に。」

さすがに、「新人の私にそれはできません・・・」と言っても、聞く耳を持たない。

「バカ野郎、お前言ってやれよ、曜日、間違ってますって。あいつのバカさ加減、ちゃんと教えてやれよ!」

「勘弁して下さい」と言う私の再三の抵抗にも、やはり全く動じない。

⦅すみません、古村さん、駒井です。先ほどのメール、曜日が間違っています。14日は水曜日ですね。お忙しい所すみません⦆

私は、宛先からクライアントを削除し、古村さん宛てに、大林さんと諸塚課長をCc:に入れて返信した。

「何だよ、駒井~~~!」

え?

何故俺がまた、諸塚課長に責められるのか意味が解らず、オドオドするしかなかった。

「違うんだよ、駒井ー。あいつは馬鹿だから、クライアントも込みでお前から同報して送らなきゃだめだろう!」

「・・・いや勘弁して下さい。そんな・・・。」

そう言う私に諸田課長は案の定、聞く耳を持たない。

「ダメだって、犯罪者なんだから!おめぇから皆に解らせてやれよ!」

「いや・・・でもさすがにそれは・・・。勘弁して下さい・・・」

何度も拒否する、私。

苛立ちを増す、諸塚課長。

「わかんねぇ奴だな~!」と諸塚課長が言った次の瞬間、向かいのデスクから席を立ち、諸塚課長がスタスタと私のデスクに近寄って来た・・・。

私の横に来た諸塚課長はパソコンのモニターをのぞき込み、ニヤニヤしながらあろうことか、私のキーボードを打ち出し、私名義でメールを打ち出したのだ!

⦅古村さん、あなた曜日が間違ってますよ。気づいてますか?14日は水曜日ですよ?おかしくないー???????????????????????⦆

「?」マークを大量に入れた、明らかにフザケた文。

「へへへ」と課長は更にCc:にあらゆる人を追加している。

部長や、隣の関係ない他チームの人間まで、どんどんと!

私も面識がない人も含め、10人ほど宛先に入れている。

「・・・いや勘弁して下さい」と、もう言えてるのか言えてないのか解らない瞬間に・・・、

「はい、『送信』!っと。」

とそのまま送信ボタンを押されてのだ・・・・。

・・・・・。

メールの署名には、私の名前と電話番号が記されている。

その後は、送信先のあらゆる人から「何ですか?今のメール?」と返信が来たり、「何かありましたか?送り先間違ってませんか?」と沢山の電話が来てしまったことは言うまでもない。

アタフタしながら「すみません、実は今のは私が送ったのではなくって・・・」と必死に対応している自分を見て、諸塚課長は「へへへ」と、ただ笑っていた。

「もうダメだ・・・」

これ以上は無理だと、私は思った。

<第五章>なりきれなかったホワイトカラー

その後、私は諸塚課長の上司である部長に直談判。

「もう無理です」と、退職覚悟で申し出た。

結局は、やはり諸塚課長は、元々社内でも有名なパワハラ人間で、今までも何人もノイローゼになり病院送りにされて来ていた事を知らされた。

「駒井君、君ならやれると思ったんだが・・・、やはり無理だったか。」

もちろん部長も解っていたが、何を思ったのか私ならやれると思って放り込んだというのだ。

しかしこれは、現場あがりの遅咲きホワイトカラーの宿命で、人気は無いが、人が足りないところに都合よく当てがわれただけ、と言えるだろう。

ただこの「イートセールス課」は、内弁慶であるが外面はめっぽう上手い諸塚課長の案件獲得と、大林さん、古村さんの異常な残業と押し付けられ仕事により、業績は良いので、諸塚課長は出世もしなければ、ただ、クビにもされないのだ。

これが、サラリーマンの現実。

「ジャイアン課長」の下、「スネ夫」の2人の更に下に配属された私は、「のび太」に、なりきれなかったのだ。

今まで私の前に何人もの人が、何も知らされず、私の様に配属され、涙をのんだ事だろうと考えると、本当に悲しくなる。

わずか三ヵ月余りで、私は新宿高層ビル56階のオフィスに別れを告げ、「ブルーカラー」の、元の現場に戻った。

赴任前の期待とはあまりにもかけ離れた、短い「ホワイトカラー人生」だった。

令和のこの時代に、漫画でしか見た事のないようなパワハラな人物が、普通に世の中には存在するのだ。

今も、ふと思う。

あの東京オフィス。今日も56階では、諸塚課長の罵声が飛んでいるのだろうか。

そして、周りの社員達は、涼しい顔をして、見てみぬふりをし、オフィスではキーボードの叩く音と、重なる電話の音だけが無機質に鳴っているのだろうか。

1月後。

私は社内の風の噂で、古村さんが退職したと聞いた。

結局、古村さんも最後は「スネ夫」では居続けられなかったのだろう。

嫁も子供もいる、私より年上の古村さんは、今後どのように生活していくのだろうか。

そして大林さんは、いつまで「ジャイアンリサイタル」を聞き続けることが出来るのだろうか。

仕事において「何をするのか」、「何処でするのか」は大事。

しかし、やはり、

「誰とするのか」

は、もっと大切だ。

あとがき

いかがだっただろうか。

私の場合は、パワハラ部署にあてがわれたのは不幸だったが、まだ、元の部署に比較的早く戻して貰えたからラッキーだったと言えよう。

こういう人物と遭遇してしまっま場合は、決して戦ってはならない。

何をしてくるか解らないので、「逃げる」ことが大事だ。

もちろん、色々リスクは有る。

私の場合も本来、自ら希望した「ホワイトカラー」だっただけに、会社からすると「お前は結局、どうしたいんだ?」となり、左遷や減給になってしまう可能性もあるだろう。

それでも、病んで、おかしな事を考えてしまうよりはマシだ。

逃げて、生き延びて、再起を図ろう。

サラリーマンはふとしたことで、急に地獄に落とされる事もある。

皆さんも何とか乗り切って欲しい。

※今回の投稿(前編&後編)に出てくる人物や社名などは仮名とさせて頂きましたので、実在する人物、社名、部署などとは関係ありませんが、内容は現実に起こった事実に基づいた、私小説です。



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