※本記事に登場する人物名、団体名等は仮名とさせて頂きます。
過去記事をまだ読まれていない方は、ぜひそちらをお読みになってから当記事をお読みください!👇
「その①【旗揚げ】」、「その②【大阪・放浪記】」、「その③【もがく大阪、一文無しの下北沢】」、「その④【希望と、迫りくる影】」、「その⑤【借金と東京】」
別れ。
とてもお世話になった、レギュラー番組。
あくまで、とりあえずだが、どうにかこうにか、お金の工面をし、もう一度東京で頑張る事を決意した、私たち劇団「パラダイス座」。
劇団員は、上京後初の公演に向けて、それぞれのタイミングで引っ越しを始めました。
私は、一番上京するのが遅かったと記憶しています。
なぜなら、数年間にわたって出演させて頂いた、レギュラー番組の都合があったからです。
その番組では、本当に楽しい思い出ばかりで、卒業するのには未練が無かったとは言えません。
最終回は大幅に尺も伸ばしてくれて、私が存分に卒業できるように、総集編としてプログラムも組んでくれました。
ディレクター、スタッフ、記者、アナウンサー問わず、色んな方がお別れ会をしてくれました。
1人、大泣きした高速バス。
とにかくまた借金しての上京だったので、まともに引っ越しも出来ず、私はカバン1つで上京し、友人の折田(おりた)の家に居候するところから始めることになりました。
まさに、小説で出てくるようなシチュエーションです。
東京に立つその日、高速バス乗り場まで、わざわざスタッフが見送りに来てくれました。
発車したバスの中で、私は1人、大泣きしました。
有難かったし、今までの数年間の思い出が走馬灯の様に思い出され・・・。
次のサービスエリアの休憩まで、2時間近く泣いていた記憶があります。
辛いことも多かった劇団生活で、数少ない希望を与えてくれてレギュラー番組とそのスタッフの温かい見送り。
これは、役者をやっていなかったら、決して味わえなかった経験です。
もちろん両親の事もありました。
このレギュラー番組が始まってからというもの、両親や親戚が私の人生をとても応援してくれる様になったのは既に記した通りですが、
そんな貴重なレギュラー番組をわざわざ終わらせて、また、東京でゼロから歩もうとする自分に、それは心配かけた事でしょう。
色んな思いが交錯し、涙で頬がふやけていました。
高速バスに乗ったその春。
年齢は34歳になっていました。
余りにも遅すぎる、上京です。
貯金無し、借金とても有り、家なし居候生活から、私の新しい物語が始まる・・・。
ハズでした・・・。
この後の、衝撃の事実を知るまでは・・・。
終了、東京ひとりぼっち。
知らされてなかった、衝撃の事実。
友人の折田の部屋に居候させて貰った私。
折田は、劇団にもチョコチョコゲストで出ていた人物で、
私たちが大学を卒業後、劇団「パラダイス座」を立ち上げて活動し始めるとその後すぐに、彼は1人先に上京し、役者を目指し頑張っていました。
一度はメディアにも出始めていましたが、この頃は折田も仕事が無く、くすぶっていたのを覚えています。
レギュラー番組の都合上、一番遅くの上京になった私は、すぐに、上京後初の公演の稽古に参加しました。
実に、上京して2日目の話です。
本の読み合わせが終わり、早々にも初日乾杯となり、劇団員とその公演でお世話になるスタッフとで飲みに行きました。
するとメンバーの根村(ねむら)が、
「話がある。」
と、私の横に座りました。
「俺たちのこの劇団パラダイス座は、事実上、この公演が最後の公演になる。事実上の解散だ。」
・・・・・。
え!?
私は、耳を疑いました。
レギュラー番組も終わらせて、またみんなで借金してゼロから東京で頑張ろうと、カバン1つで上京してきた、その2日目・・・。
いったいどういう事なのか。
根村が冷静に話す内容は、こうでした。
数か月前から、とある東京のプロダクションから、作家で代表である笠木に声がかかっていた。
要は、笠木だけその事務所に所属するというヘッドハンティングの話。
しかし、笠木がそこに所属する条件は、「劇団活動をしない」こと。
そのプロダクションからすると、笠木一人のマネジメントをするわけだから、お金にならない、時間の取られる劇団は辞めて欲しいと・・・。
そして、その条件を笠木ものんで、話がまといまっていると・・・。
はぁ!?
だとしたら、なぜ、そんな話があった時点で、俺に話さなかったのか!?
その話が来た時は、もう劇団員全員で上京を決めた後で、
それぞれにそれなりに話していたが、地元のレギュラー番組を最後まで勤めていた私には話すタイミングが無かったのと、
それを私に話すと、私がまた激高してめんどくさいことになりかねなかったから、今まで話さないでいた、と・・・。
全身の力が抜けるのが解った。
こんな事があって良いのか。
既に酔っぱらっている笠木は上機嫌で、私の気持ちを知る由もない。
そりゃぁ本人はプロダクションの所属も決まり、東京で明るい未来が待っているか知らない。
けど、捨てられた役者たち、劇団メンバーはどうなるんだ!
もちろん東京に来て、一番遅くこの事実を知った私であったが、既に知らされてた他メンバーも、人によってはブチ切れたらしい。
しかしながら、お互い、もう上京を決めてしまっていた後の話・・・。
それぞれ複雑な思いがありながらも、この公演を最後に、各々、東京でやるしかないと考えてここに座っているという。
酔っぱらった笠木が、テーブルの奥で饒舌だ。
「まぁ、数年待ってくれよ。俺が売れた暁には、皆にガッポリギャラを払える公演で呼ぶからさぁー!」
と。
本人の言い分は、そう言う事らしい。
根村は、
「良いんだよ、このまま大阪帰っても。」
と、私に言いました。
誰も止めはしないと・・・。
忘れもしない、その稽古初日、上京2日目の、事実を知らされた帰り道。
靖国通りで、私はまた、大泣きした。
あんなに2日前、バスの中で泣いたのに、また東京で1人、大泣きしました。
思わず、卒業したレギュラー番組のスタッフに電話してみたりもしました。
季節外れの雪が、靖国通りに降ってきて、涙と混ざっていました。
やりきった、最後の公演。
根村に「帰ってもいい」と言われたものの、
今更、レギュラー番組も終わらせ、盛大に送り出してくれた関西に帰れるものかと・・・。
そんな事になってしまったって、取りあえず、最後の公演をやりきるしかない。
私は、割り切って最後の公演に臨む事にしました。
思いっきり舞台で演じれば、きっと何か起こるんじゃないか?
こんなみじめな思いで、終わるはずがない、と。
私は、全身全霊で演じ切りました。
・・・・・。
何も起こりませんでした・・・。
稽古から本番が終わるまで、笠木は自分の口から、
劇団の事実上解散に至った経緯を、結局最後まで私に直接説明することもなく、もちろん詫びることもありませんでした。
本番が終わり、舞台セットをバラシて片づけるも、私たちには、それを廃棄するお金すら、ありませんでした。
予てから私たち劇団「パラダイス座」を支援してくれていた富永(※参考記事⇒「その⑤【借金と東京】」)が、
「とりあえず、うちの会社の倉庫に置いといたら?」
と言ってくれました。
私たちは、最後の公演の搬出を終え、富永の倉庫にバラした舞台美術を入れ、全ての作業を終えました。
何ともあっけない、終了でした。
笠木は、最後まで悪びる事もなく、自分だけに待っている明るい未来に上機嫌で、
独立し、成功している富永にかけより、何やら話しながら、私には最後まで一切何の説明もなく、去って行きました。
その後姿を見て、思いました。
「もう、やめにしよう・・・」
そんなとんでもない、あっけない結末で、私たち劇団「パラダイス座」の波乱に満ちた青春は、幕を閉じたのです。
あとがき
その後・・・。
その後の私と言えば、居候先の折田の部屋で、途方にくれていました。
人生で、お金も、仕事も、やる事も、夢も希望も、全て失って、本当にただ東京の空を眺めるしかなかった日々は、人生でも、この時ぐらいでした。
もちろん、何度も、死のうと思いました。
しかし、幸か不幸か、居候だったので、隣に折田がいてくれ、色々助けてくれたり、
卒業した番組のスタッフが助けてくれたり、富永が相変わらず色々と支援し、助けてくれたりしながら、東京で生き延びる事が出来ました。
大阪、東京問わず、他劇団へのお誘いなどもありましたが、とてもまた舞台に立つ気にもなれず、お断りしたのも覚えています。
その後私は、またアルバイトから始め、無事、折田の部屋を出て自立し、
契約社員から正社員になり、今はサラリーマンとして何とか生きています。
沢山あった借金は、その後、数年に渡り、長い間かけてなんとか返済を終えました。
もちろん、サラリーマンなった今も、サラリーと引き換えに、苦悩はあり、他記事でも既に投稿しているまでです。
その後、劇団メンバーは、大阪に帰ったもの、40歳越えてまだ役者としてあがいているものなど、それぞれです。
笠木の入った事務所はその後、潰れ、彼は女に支援して貰いながらも暮らしているようですが、お芝居はやっていないようです。
ここまで来るにも色々あったので、また機会があれば投稿したいと思っています。
私たちは、精一杯、生きた。
人生の多くの時間を費やした、劇団員としての時間。
今となっては本当に、何だったかのかなぁ・・・って思います。
しかし、全て自分で選んできた道です。
全て、自分が撒いてきた種によって起こった事には変わり有りません。
カンパニーとしてとっても脆弱な集団である「劇団」と言うもの。
本当に成功するのは難しいと思います。
でも、私の経験なんて、一例に過ぎません。
夢を追う時に、成功している自分を想像なくして、どうすんだって話です。
これから、この世界に足を踏み入れる人にはぜひ頑張って貰いたいし、お客さんとしては今後も劇場に足を運びたいと思っています。
大成はしませんでしたが、若いうちに、全力で突っ走る事が出来た事は、今の自分にとって宝物です。
現在も、劇団時代につながった人脈や経験は私をとても助けてくれます。
音楽活動は現在も続けていますが、表現する喜びを知り、それを楽しめるという行為は、とってもステキで素晴らしいことです。
老いていく両親を案じながら、未だ帰れず東京でもがいている筆者です。
折田や富永とは、今も劇団時代のエピソードを肴に、時折酒を交わします。
年金生活に入ってからか・・・いつかまた、どこかで、一度でも良いから劇団と言うカンパニーで、純粋に自分たちが面白いと思う表現で、舞台に立ってみたいなぁ、なんても思っています。
だって、魅力的だから。
これでも駆け足で振り返ったので、細かいエピソードはまだまだあるので、また機会があれば投稿したいと思います。
私のちっぽけでありながらも壮絶な物語に、お付き合い頂き、本当に有難うございました。
※劇団のことを題材にしたオススメ作品はコチラです👇。
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